私がのり越えた人目二重奏。大事なものがわかれば人目は気にならなくなるものですね。

過去のこと

息子が通信制高校に通い始めた頃、どうやら私たち親子はちょっと目立っていたようです。

私は人目を気にする方だったので、イヤでしかたなかったのですが、あることに気づいてからはもうそんなに気にならなくなりました。

私が乗り越えた人目その1

高校三年生の6月から通信制高校に転学した息子。その頃は気持ちがとっても不安定。見ているこちらも心配になりました。

それでも「それまで通っていた高校から通信制高校に転学したのだし、一人で機嫌よく通うだろう。」と私はお気楽に考えていましたが、実際はそう簡単ではなかったんです。

息子は「学校まで一人で行くのは不安だから送り迎えをして欲しい。」と言いました。私は車を運転できないので、バスでの送り迎えになります。

え~、面倒くさいなぁ、目立つのがイヤだなぁという気持ちが強く、本当に行きたくなかったのですが、不安そうな息子の様子を見ていると「ひとりで行きなさい。」とも言えず、しぶしぶ送り迎えをOKしました。

しかも、です、息子が出したもう一つの条件があり、それは私にとってかなり苦痛でした。

その条件とは「通学時はオレの手首を握っていて。」ということでした。(自分の心のバランスが崩れているから、ふとした時に自分を消したい気持ちになって実行しないかと息子は不安だったようです。)

それって、本当に目立つ。大きな体の高校生男子、母親と一緒にお出かけ、しかも手をつないでいる!!(ように見える)。

目立つじゃない!どうして頑張れないの!

目立つ以外のなにものでもないですよね。ついて行くのはいいとして、手首をつかむのは勘弁!とかなり心の中で抵抗しましたが、やっぱり無理でした。

不安そうな顔の息子を見ていると、ね。

それでもね、私も喜んで手首をつかんでいるわけではなくて、心の中では怒っていました。

「横についてあげているんだから、それくらい頑張りなさいよ!なんでその程度のことができないの!」って時々、ギューと力を入れて息子の手首を握っていたこともありました。

息子のことより人からの評価を気にしていたんですね、今思うと情けない気持ちになります。トホホ。

その上に!!私が乗り越えた人の目その2

さらに、です。通学送迎を数回経験した頃、息子が突然言いました。「オレ、下駄が欲しい!」と。

「え??下駄??」思わず息子を二度見しましたよ。

「そう、下駄!」と少し元気になった息子。「オレ、日本の伝統を大事にしたい。だから下駄を買って、それで通学する!」・・・個性的なセンス、それはそれでステキだなと思いますが、目立つ。恥ずかしい、一緒に歩くのはイヤだ。

でも、やっぱりまだ一人で通学は無理そうです。まだ不安そうな様子。下駄履きの息子について行く以外にありませんでした。

息子が歩くたびにカランコロンといい音をさせる下駄。とってもとっても目立ちました。ふり返られたことも何度か。

私はいつも下を向いて小さくなって息子と歩いていました。

(もしも私以外の誰かが同じことをしていてもきっと気にならないでしょうに、自分のこととなるとこんな気持ちになるのですね。私、器が小さい。)

下を向いて小さくなっている私を見ながら歩いている息子の顔は悲しそうでした。

「お母さん、オレ、あかんかなぁ。」あぁ、私、何をしていたんだろう。

大事なものはなに?

その時になって気がつきました。やっとです。「私が大事にしたいものは息子。そして息子の気持ちだよね。」って。

大きな体に母親同伴、手をつないでしかも下駄履き。目立つ。たぶん珍しがられる。

でも、それは私以外の人の考え。

では、私にとって大事にしたいものは何?ひとそれぞれ大事なものは違うんだよ。

そう、私にとって大事なのは息子。人の目よりもずっと大事。ふっとそう思えて、次の外出時は堂々と息子の手首を持って、前を向いて歩いていました。

急に変わった私を見て息子は聞きました「お母さん、いいのん?」って。

「いいよ、お母さんにとって大事なのは君が安全を守ること、それは周りの人にはわからないやろうね、それでも、大事なものは大事にする。だからいいよ。」って答えた時の息子の顔はどこかホッとしたようでした。

この私の気持ちの変化には実は自分でも驚きました。こんなふうになるなんて、と。

大事なものにちゃんと気づけて良かった!

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